呉の中書

前漢末から後漢に「中書」は無かった。



曹魏において黄初年間に「中書」が復活しており、蜀漢では無いままだったようだ。



一方、呉では「中書令」が何人か存在しているので、そのあたりは後漢とは違う制度だったことが分かる。



呉ではいつどのような経緯で中書が生まれたのだろうか?



就任者を見る限りは宦官ではなさそうなので、宦官が就任していたらしい前漢の中書とも違うようだ。




単なる疑問である。結論はない。