晋興郡

永寧中、張軌為涼州刺史、鎮武威、上表請合秦雍流移人於姑臧西北、置武興郡、統武興・大城・烏支・襄武・晏然・新鄣・平狄・司監等縣。又分西平界置晉興郡、統晉興・枹罕・永固・臨津・臨鄣・廣昌・大夏・遂興・罕唐・左南等縣。
(『晋書』巻十四、地理志上、涼州、西海郡)

元帝分鬱林立晉興郡。
(『晋書』巻十五、地理志下、広州、寧浦郡)

晋の恵帝の時、涼州刺史張軌が晋興郡を涼州に新設した。



一方、晋の元帝の時に晋興郡を広州に新設した。



晋の同時期に西北の端と南の端、ほとんど正反対の方向に「晋興郡」が2つ置かれていた、ということになるようだ。



方角が違うとはいえ、郡が同時に2つ存在するのは少々紛らわしくなりそうではある。





それとも張軌の方の晋興郡は朝廷には公認されていなかったか?