同じタイプの

是日、(李)傕復移帝幸其北塢、唯皇后・宋貴人倶。傕使校尉監門、隔絕内外。尋復欲徙帝於池陽黄白城、君臣惶懼。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)


李傕は献帝を池陽県に移そうとした、という(取りやめている)。


三月、詔隴西徙襄武、安定徙美陽、北地徙池陽、上郡徙衙。
(『後漢書』紀第第五、孝安帝紀、永初五年)


池陽県は実は北地郡の人李傕にとっては第二の故郷のはずなので、これは「皇帝を自分の故郷に移す」という行為と言えよう。





少々時代が下って、曹操献帝を予州潁川郡許県に移した。



予州といえば曹操の故郷譙も予州である。





「皇帝を自分の故郷まで連行しようと考えた」という点で、李傕と曹操は同種と言えるのかもしれない。