三等分の花嫁

漢宣帝世、燕代之間有三男共取一婦、生四子。及其將分、妻子而不可均、乃致爭訟。廷尉范延壽斷之曰、此非人類、當以禽獣處之。禽獣從母不從父也、請戮三男子、以児還母。
宣帝嗟歎曰、事何必古。若此、則可謂當於理而猒人情也。
延壽蓋見人事而知用刑矣、未知論人妖將來之應也。
(『捜神記』范延壽)

漢の宣帝の世とされるが、范延寿というのは成帝の時の廷尉。とにかく前漢の時の廷尉范延寿の時、こんな事があったのだとか。



ある3人の男が1人の女性を全員で妻とし、4人の子をなした。しかしいざ世帯を分けようとした時に、妻も子も三等分にできない。


おそらくは妻を誰が引き取るか、子を誰が何人引き取るか、という事で揉めたのだろう。最終的には訴訟になったのだという。



廷尉范延寿は、「これは禽獣と同レベルである。禽獣なら子は父ではなく母に従うのだから、子どもたちは母に返す。男3人は全員処刑する」という決定をすべしと言上した。




何だか民事訴訟のつもりでいたら刑事事件だったというどんでん返しになっているが、これはこれであの時代における大岡裁きなのだろう。





というかこの3人の妻となった女性、悪魔的な犯罪でそうされたとかじゃないのか・・・?


それとも、当時の燕・代の方にはそういう風習があったのだろうか?