山陽の李氏

滿寵字伯寧、山陽昌邑人也。年十八、為郡督郵。時郡内李朔等各擁部曲、害于平民、太守使寵糾焉。朔等請罪、不復鈔略。
(『三国志』巻二十六、満寵伝)

後漢末の山陽郡の李氏が部曲を率いて民に害をなしていた、か。



李典字曼成、山陽鉅野人也。典從父乾、有雄氣、合賓客數千家在乗氏。
(『三国志』巻十八、李典伝)


これ、李典の一族のことじゃないのか。


賓客を集めていた山陽郡鉅野の李氏の中には、まあ民に害をなしていた者も少なからずいたのだろう。あるいは、満寵の時の事があって李氏は曹操に従うようになったのか?時系列的に正しいかわからんけど。