翁主と郷主の間に

封王氏齊縗之屬為侯、大功為伯、小功為子、緦麻為男、其女皆為任。男以「睦」、女以「隆」為號焉、皆授印韍。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中、始建國元年正月)


王莽の時、皇室である王氏の女性の称号は「任」といったらしい。


後に王莽は侍女に産ませて隠していた庶子の娘にも「任」の号を与えているので、皇帝の娘も「任」としていたのかもしれない。



つまり「任」が前漢における「公主」の代わりの称号であり、「公主」の号は使われていなかったのではないかと考えられる。



皇帝の娘のみならず他の宗室の女性も「任」で統一されたとされているので、同様に「翁主」も「郷主」も使われていなかったのかもしれないが、そのあたりは『漢書』ではちょっと資料不足かもしれない。



ただ、そうなると「翁主」から「郷主」に変わったのは後漢になってから、という可能性が少し高いか。