翁主

齊厲王、其母曰紀太后太后取其弟紀氏女為厲王后。王不愛紀氏女。太后欲其家重寵、令其長女紀翁主入王宮、正其後宮、毋令得近王、欲令愛紀氏女。王因與其姊翁主姦。
【注】
索隠、按、如淳云「諸王女云翁主。稱其母姓、故謂之紀翁主」
(『史記』巻五十二、斉悼恵王世家)


前漢においては、王の娘は「翁主」と呼ばれていたようだ。



そうなると昨日の記事にあった後漢や魏における王の娘が「郷主」と呼ばれたことと違ってきている。



普通に考えれば、どこかで名称変更があったということになる。



後漢になってから変わったのだろうか?


それとも、王莽の時だろうか?王莽は官名や地名など、名称を変えることが多かったようだし。




誰が変えたにせよ、色々な意味がある「公」はまだしも通常「老人男性」を意味する「翁」という字が姫君の呼称に使われているのが嫌われたのだろうか?



ちょっと無理やりに当てはめるなら、「伯爵令嬢」が「翁主」ってことになるのだろうし、なんかイメージ良くないね、って思われても不思議ではない。