ところで、昨日の話に出た「諸侯の礼」とは、いったいどういう礼なのだろうか?
諸侯王だけの礼(喪礼)ということなのか。それとも、列侯を含むのか。
諸侯王だけの礼だとすれば、孫権は関羽を劉氏の王たちや魏王曹操、漢中王劉備と同等の存在だとして葬ったことになる。
ありえないとは言わないが、少々過大な扱いに思えないこともない。
一方、これが実質的には列侯の礼であったとすれば、孫権の行為は「敗れて首を切られた反乱者としてではなく、彼の爵位である「漢寿亭侯」というれっきとした列侯として扱ったのだ」ということになるのだろう。
反乱者、犯罪者ではなく、関羽の爵位どおり漢の列侯として扱った、というところだろうか。
こちらの方が大胆さは無いが穏当であるように思える。
今回は根拠のある話ではないので、実際のところは知らないが、関羽の「諸侯の礼」は列侯としての礼と思う方が妥当なように思える。