山陽公を超えて

前に「鄧艾が劉禅を「県公の献帝=劉協(子孫)より上の扶風王にしようとしていた」」という話を記事にしたことがあったが、昨日の話からすると、諸葛亮の子を劉協の子孫より上の地位にしようとしていたことになる。


まあ、その場合は献帝の山陽公は特殊な地位として体面は守るようにしたかもしれないが、それでも王と公となると、人々は「諸葛亮劉備の子孫の方が献帝の子孫より上の地位」という印象を感じずにはいられなかったのではないかと思う。




場合によっては朝廷の序列からひいては魏王朝の正統性にまで問題を生じる可能性があるので、諸葛瞻が素直に王になれたとは思えないが、それをサラッと出してくる鄧艾はかなり突き抜けているのではなかろうか。