ふと、このような記事を目にした。
『武陵太守星伝』(『荊州占』)、後漢末荊州の武陵太守劉叡なる者の作であるそうな。
劉表期の武陵太守として記録があるのは劉先か。
零陵先賢傳曰、(劉)先字始宗、博學彊記、尤好黄老言、明習漢家典故。為劉表別駕、奉章詣許、見太祖。・・・(中略)・・・拝先武陵太守。荊州平、先始為漢尚書、後為魏國尚書令。
(『三国志』巻六、劉表伝注引『零陵先賢伝』)
劉先は博学強記で黄老を好み、漢の典故にも詳しかったのだとか。
劉叡=劉先でも経歴的にはおかしくないようにも思える(同一人物だという証拠があるわけではない)し、もちろん別人でも別におかしくはない。
別人なら別人で、当時の武陵太守は劉叡・劉先とそれなりの知識人が次々就任したことになるので、それはそれでちょっと面白い。
何より、『三国志』や注では特に触れられている形跡のない占術師の太守というロマンある存在がいたという事が興味深いではないか。