ところでこいつは私の虎子さ

續漢志曰「侍中、比二千石、無員。」漢官儀曰「侍中、左蟬右貂、本秦丞相史、往來殿内、故謂之侍中。分掌乗輿服物、下至褻器虎子之屬。武帝時、孔安國為侍中、以其儒者、特聽掌御唾壺、朝廷榮之。至東京時、屬少府、亦無員。駕出則一人負傳國璽、操斬蛇劒、參乗。與中官倶止禁中。」
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀注)


漢の侍中はもともとは皇帝の「虎子」などの身の回りのモノを扱う仕事だったという。



「虎子」というのは何かと言えば、「おまる」という意味が現代日本でも残っている。紀元前頃から使われていた言葉なのである。



上記引用において、侍中になった儒者孔安国が痰壺係になったのを栄誉だと言われたという話が続いているあたりからも、「虎子」がそういう意味であることが察せられるだろう。



二子(淩)烈・封、年各數歳、(孫)權内養於宮、愛待與諸子同。賓客進見、呼示之曰「此吾虎子也。」及八九歳、令葛光教之讀書、十日一令乗馬、追録統功、封烈亭侯、還其故兵。
(『三国志』巻五十五、淩統伝)


ところで、孫権は若くして死んだ功臣淩統の遺児たちを養育し、客に対して「これは私の虎子である」と言っていたのだそうだ。



えっ・・・。



そ、孫権さん・・・。その子たちを・・・。




これ以上は品位を疑われかねないので、ここでは言わないでおこう。