謎の自然死

呉録曰、袁夫人者、袁術女也、有節行而無子。(孫)權數以諸姫子與養之、輒不育。及歩夫人薨、權欲立之。夫人自以無子、固辭不受。
(『三国志』巻五十、呉主權潘夫人注引『呉録』)


孫権の袁夫人(袁術の娘)は、孫権が側室に産ませた子を養育したが皆死んでしまった、という。



無論、単なる偶然という可能性も否定はできないが、皇帝の子がみんな死んでしまうというのは漢の霊帝や魏の烈祖様などの例もあるので、おそらくは何らかの人為による、謎の自然死という事なのだろう。



袁夫人に子を養育させるという事は、彼女を正妻にしようという孫権の意思表示なのだろうから、それが失敗に終わってほしいという者たちによる所業というところだろうか?


あるいは、すでにいる別の皇子に後継者になってほしいということか?(正妻が育てた子という事は嫡子という事なので、後継者争いで一躍トップに躍り出る事になる)