謎の大中正

明帝好圍棊、置圍棊州邑、以建安王休仁為圍棊州都大中正、(王)諶與太子右率沈勃・尚書水部郎庾珪之・彭城丞王抗四人為小中正、朝請褚思莊・傅楚之為清定訪問。
(『南斉書』巻三十四、王諶伝)

これ、「劉宋明帝は囲碁好きで、「囲碁州・邑」を置いて「囲碁州都大中正」や「囲碁小中正」を置いた」みたいな意味でいいんだろうか?




囲碁州ってなんやねん。囲碁が得意な人を九品中正の制度に照らして格付けしたみたいなこと?




今のところよくわからないので敢えて取り上げてみた。もし何かわかったらまた記事にする。