徐州の価値は

會徐州黄巾起、以(陶)謙為徐州剌史、撃黄巾、破走之。
董卓之亂、州郡起兵、天子都長安、四方斷絶、謙遣使閒行致貢獻、遷安東將軍・徐州牧、封溧陽侯。
是時、徐州百姓殷盛、穀米豊贍、流民多歸之。
(『三国志』巻八、陶謙伝)

徐州黄巾や董卓と反董卓の戦のあとの段階で、徐州は豊かで避難民も多かったのだという。




しかしその後この地を征服した曹操は、この地を重要な拠点としたとかいう感じではなく、むしろ十分に支配出来てなかったのではないかという雰囲気が強い。



天下を統一しようと思っている勢力としては大変勿体ない話である。





と言っても、当然ながら好きで支配していないのではないだろう。



そんな宝の山であっても、その宝の山を荒らしまくり殺しまくった勢力がいた事と、そういう勢力のせいで徐州方面が素直に支配を受ける状態にはなっていなかったという事があったためであろう。




どんな酷い事をしたら一州が完全に敵に回るんだろう?(すっとぼけ)