甘延寿の封邑

甘延壽字君況、北地郁郅人也。少以良家子善騎射為羽林、投石拔距絶於等倫、嘗超踰羽林亭樓、由是遷為郎。・・・(中略)・・・車騎將軍許嘉薦延壽為郎中諫大夫、使西域都護騎都尉、與副校尉陳湯共誅斬郅支單于、封義成侯。薨、諡曰壯侯。傳國至曾孫、王莽敗乃絶。
(『漢書』巻七十、甘延寿伝)

沛郡。故秦泗水郡。高帝更名。莽曰吾符。屬豫州。戸四十萬九千七十九、口二百三萬四百八十。
・・・(中略)・・・
義成
(『漢書』巻二十八上、地理志上、沛郡)


前漢の西域都護であった甘延寿は匈奴の郅支単于を討った功績で「義成侯」となった。


この甘延寿の封邑である「義成」侯国は、どうやら沛郡にあったらしい。


先主甘皇后、沛人也。
(『三国志』巻三十四、先主甘皇后伝)

となると、かの劉備の妻であった甘夫人は、この義成侯甘延寿が侯を失って以降も定住した子孫なのかもしれないな。


もっとも、だからといって甘夫人の何かが変わるわけではないが。甘延寿との間には200年以上の開きがあるし。