表と裏

建武)十一年、與中郎將來歙攻河池、未剋、以病引還、拝為左馮翊、將軍如故。
【注】
漢書曰「視事四年、人敬其威信。」
(『後漢書』列伝第八、蓋延伝)

後漢初期の功臣、怪力の蓋延。


彼は左馮翊として人々にその威信を敬服された、とされている。


華嶠書曰「蓋延代鮮于襃為馮翊、多非法。(第五)倫數切諫、延恨之、故滞不得舉。」
(『後漢書』列伝第三十一、第五倫伝)


後漢初期の功臣、怪力の蓋延。


彼は左馮翊として不法行為が多く、それを強く諫めた部下第五倫は蓋延に恨まれて出世できなかった、という。




まるで逆の話のように見えるが、威厳があって人々が畏怖したと解釈すれば、不法行為が多かった事や有能な人物を恨みで干した事も矛盾とまでは言えない、かもしれない。