受け継がれるもの

昨日の記事の後に思ったのだが、赤壁の敗戦を極力隠し、一切言及しないままに領土返上という「引責」だけはやるというスタンス、司馬昭の時に皇帝高貴郷公を殺した事について実態を極力隠し、皇太后と口裏を合わせて皇帝としてふさわしくなかった者扱いしながら、直接殺した成兄弟は下手人として処刑するというスタンスに似ていないだろうか?



他の二国や他の時代でどうであったかはまた別に分析する必要があるだろうが、少なくとも後漢曹操政権での隠蔽体質が高貴郷公事件の時にも引きずっていた、のではないだろうか。



結局司馬氏もその周辺の者も皆曹操政権下で働いたり育ったりした者たちなわけだし、こういう隠蔽にあまり否定的な感情を持たなかった(よくある事としか思わない)のでは。