孤高の胡康

先日の記事で、楊偉と並んで「胡康」なる人物の名も出てきていた(「胡康出壟畝」)。



素直に読むと農家の出(小作人、あるいは屯田民という事かもしれない)ということか。


廬江何氏家傳曰、明帝時、有譙人胡康、年十五、以異才見送、又陳損益、求試劇縣。詔特引見。衆論翕然、號為神童。詔付祕書、使博覽典籍。帝以問祕書丞何禎「康才何如?」禎答曰「康雖有才、性質不端、必有負敗。」後果以過見譴。
臣松之案、魏朝自微而顯者、不聞胡康。疑是孟康。康事見杜恕傳。楊偉見曹爽傳。
(『三国志』巻二十一、劉劭伝注)

胡康は何でも15歳にして異能の持ち主とみなされて皇帝の側仕え(秘書)になったが、過ちがあって譴責を受けたとの事である。



我らが裴松之さんは「このような人物は聞いた事ない、孟康の事では?」などと言っているが、譴責を受けた時にこの世からしまわれたか、少なくともこれ以上出世しなかったとしてもそこまでおかしくはないだろう。


孟康は能力はあるものの親族(郭皇后)のコネで世に出た人物なので、この「低い身分から才能によって世に出た」とでも言うべき括りに入るかどうかも怪しいところがあるし。



つまり、実際に「胡康」という「農夫の家の出だが若くして才能を見込まれて皇帝の側近に取り立てられたが、性格的問題から失敗があってそのまま消えた」人物は居たんじゃないだろうか。



生き残っていた楊偉も事績はまるで残っていないんだし、もっと早く失脚した胡康はもっと事績が少なくて当然だ。




実家が太くないと、一度の失敗で完全に闇に消える、みたいなのもあるのかもしれない・・・。