呉範の経歴

徐州刺史巴祇表功第一、當受遷賞、(趙趙)昱深以為恥、委官還家。徐州牧陶謙初辟別駕從事、辭疾遜遁。謙重令揚州從事會稽呉範宣旨、昱守意不移。欲威以刑罰、然後乃起。
(『三国志』巻八、陶謙伝注引『謝承後漢書』)

呉範字文則、會稽上虞人也。以治暦數、知風氣、聞於郡中。舉有道、詣京都、世亂不行。會孫權起於東南、範委身服事、毎有災祥、輒推數言狀、其術多效、遂以顯名。
(『三国志』巻六十三、呉範伝)


あれ?陶謙の命を受けて趙昱を説得した呉範、呉の占術師呉範のことなのか?



もしかして揚州従事から「有道」科目で中央に推挙され、その後に孫権に仕えた、という流れなのか?



しかもこれだと何か途中が抜けてる気がするので、袁術あたりの元にいた時があるんじゃなかろうか?