鄭玄の弟子

(鄭)玄質於辭訓、通人頗譏其繁。至於經傳洽孰、稱為純儒、齊魯閒宗之。其門人山陽郗慮至御史大夫東萊王基・清河崔琰著名於世。又樂安國淵・任嘏、時並童幼、玄稱淵為國器、嘏有道徳、其餘亦多所鑒拔、皆如其言。
(『後漢書』列伝第二十五、鄭玄伝)


鄭玄の弟子に東萊の王基がいる。

王基字伯輿、東萊曲城人也。少孤、與叔父翁居。翁撫養甚篤、基亦以孝稱。年十七、郡召為吏、非其好也、遂去、入琅邪界游學。黄初中、察孝廉、除郎中。
(『三国志』巻二十七、王基伝)

魏(というか晋?)将の王基だとすると、鄭玄の死(建安5年)から王基が禅譲後の魏に仕官するまでの間が随分長い。



王基が鄭玄の弟子になったのはかなり若い頃の事だったのか?



それに、鄭玄死後の20年以上の間の事績が良く分からない。



彼が地元東萊の方に居たとすると、袁氏の東萊太守管統などに仕えていて、上司を滅ぼした事になる曹操に仕えるのをヨシ!としなかったのだろうか?




良く分からないが、ちょっと気になる。