崔琰のキャリア

崔琰字季珪、清河東武城人也。少樸訥、好撃劍、尚武事。年二十三、郷移為正、始感激、讀論語・韓詩。至年二十九、乃結公孫方等就鄭玄受學。
學未朞、徐州黄巾賊攻破北海、玄與門人到不其山避難。時穀糴縣乏、玄罷謝諸生。琰既受遣、而寇盜充斥、西道不通。于是周旋青・徐・兗・豫之郊、東下壽春、南望江・湖。自去家四年乃歸、以琴書自娛。
(『三国志』巻十二、崔琰伝)

昨日の引用の再録なのだが・・・。



崔琰、かの大儒鄭玄の元に弟子入りしているが、「學未朞」ってことは1年もしないうちに徐州黄巾が来たという事なのか・・・?



そこで鄭玄の元を離れたように書かれているから、崔琰が鄭玄の元で学んでいた期間は1年も無かったという事なのかな・・・?




ぶっちゃけ、彼は儒学者としてはキャリアはあまりない方かもしれない。


もちろん、学んだ期間が長ければいいというものでもないが。