林か隆か

景帝十三男、一男為帝、十二男皆為王。而兒姁早卒、其四子皆為王。王太后長女號曰平陽公主、次為南宮公主、次為林慮公主。
【注】
索隠、縣名、屬河内。本名隆慮、避殤帝諱、改名林慮。慮音廬。
(『史記』巻四十九、外戚世家、王太后

史記外戚世家では漢武帝の実母王氏の娘の一人を「林慮公主」としているが、これは注によれば「林」は後漢殤帝の諱「隆」を避けたもので本来「隆慮」であったとしている。



となると、この部分は後漢半ば以降に書かれたのか、それとも本文に後の世の手が入ってそのまま残っているのか。あるいは司馬遷の頃から「隆慮」が「林慮」と書かれる事もあったのか。




まあ史書の文字の異同は結構多いので、後世改変されてそのままになったとしてもおかしくはない。