幼き日の薄太后

太后、父呉人、姓薄氏、秦時與故魏王宗家女魏媼通、生薄姫。而薄父死山陰、因葬焉。
及諸侯畔秦、魏豹立為魏王、而魏媼内其女於魏宮。
(『史記』巻四十九、外戚世家、薄太后

漢の文帝の母の薄太后の前半生、よく考えると微妙に謎だな。


父は呉の人だが、何があって戦国魏王の血族であるらしい魏媼との間に子を成したのか。



太后は幼い頃は呉にいたのか、それとも魏にいたのか。


父と共にいたとしても不思議はないだろうし、母の地元にいたとしても不思議ではないようにも思う。




呉にいたとしたら、項梁・項羽に付き従って魏にやってきたのではないか?



ちょっと想像を膨らませられるかもしれない。