以客從漢王二年從起定陶、以大謁者撃布、侯、千戸。為淮陰守。項氏親也、賜姓。
(『史記』巻十八、高祖功臣侯者年表、桃侯劉襄)
漢の高祖の功臣の一人である桃侯劉襄は項羽の親族であるが、よくよく見ると高祖2年の段階で劉邦に従った事になっている。
つまり高祖5年の項羽滅亡より前から劉邦に従っていた事になる。
項羽の親族といっても皆が皆項羽にずっと従っていたわけでも無いという事か。最終的には郡守になったように書かれるのも、割と信頼されていた事を示すのかもしれない。
もっとも、記録に残らないだけで項羽に従った劉邦の親族だっていたかもしれないので、殊更に項羽が親族から見放されたとかいうものでもないだろうが*1。