それは正に鉄塊だった


昨日の記事について、上記のようなご意見をいただいた。また、コメント欄でも同様にご意見をいただいた。



太傅胡廣説曰「高山冠、蓋齊王冠也。秦滅齊、以其君冠賜近臣謁者服之。」
【注】
史記酈生初見高祖、儒衣而冠側注。漢舊儀曰「乗輿冠高山冠、飛月之纓、幘耳赤、丹紈裏衣、帯七尺斬蛇劒、履虎尾絇履。」案此則亦通于天子。
(『続漢書』志第三十、輿服志下、高山冠)

例えば『続漢書』輿服志下で引用される『漢旧儀』では、漢の高祖の剣は「七尺斬蛇剣」とされている。



そうか、「七尺の剣」というのは漢の高祖の装備だったのか。



時赤眉・延岑暴亂三輔、郡縣大姓各擁兵衆、大司徒鄧禹不能定、乃遣(馮)異代禹討之。車駕送至河南、賜以乗輿・七尺具劒
(『後漢書』列伝第七、馮異伝)

あと、確かに後漢初期の功臣馮異も「七尺具剣」(宝石で飾られた剣ということらしい)を皇帝より賜っている。


これをよく見ると彼は「乗輿」と共にこの剣を受け取っている。


乗輿、天子所乗車輿也。不敢斥言尊者、故稱乗輿。見蔡邕獨斷。
(『後漢書』紀第五、孝安帝紀注)


後漢書』では多くの場合「乗輿」とは「皇帝の車」の事を指している。



つまり、ここで馮異が賜ったのは「皇帝の乗る車」と「七尺の剣」。


ということは、この馮異の剣というのも、「皇帝が乗るべき車」と同様に「皇帝が持つべき剣」という意味なのではないか?






「七尺の剣」というのは、高祖の伝説の斬蛇剣、すなわち「皇帝の剣」を連想させるものだったのかもしれない。




そして、漢の高祖劉邦の持つ剣が「三尺」ではなく「七尺の剣」だったという伝承もあったという事になる。



そうか、やはり漢の高祖劉邦というのは「それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた」剣を持つ、かなりの武人、いくさ人だったんだな