冒頭で挙げている高祖の斬蛇剣も、七尺で解釈する史料はありますね。『後漢書』の劉昭注や『史記索隠』に引用される『漢旧儀』佚文が七尺説を採用しているので、後漢早期にはそういう解釈はすでに存在したのではないかとhttps://t.co/Blwqa778je
— Archer (@Archer12521163) 2021年1月28日
昨日の記事について、上記のようなご意見をいただいた。また、コメント欄でも同様にご意見をいただいた。
太傅胡廣説曰「高山冠、蓋齊王冠也。秦滅齊、以其君冠賜近臣謁者服之。」
【注】
史記酈生初見高祖、儒衣而冠側注。漢舊儀曰「乗輿冠高山冠、飛月之纓、幘耳赤、丹紈裏衣、帯七尺斬蛇劒、履虎尾絇履。」案此則亦通于天子。
(『続漢書』志第三十、輿服志下、高山冠)
例えば『続漢書』輿服志下で引用される『漢旧儀』では、漢の高祖の剣は「七尺斬蛇剣」とされている。
そうか、「七尺の剣」というのは漢の高祖の装備だったのか。
時赤眉・延岑暴亂三輔、郡縣大姓各擁兵衆、大司徒鄧禹不能定、乃遣(馮)異代禹討之。車駕送至河南、賜以乗輿・七尺具劒。
(『後漢書』列伝第七、馮異伝)
あと、確かに後漢初期の功臣馮異も「七尺具剣」(宝石で飾られた剣ということらしい)を皇帝より賜っている。
これをよく見ると彼は「乗輿」と共にこの剣を受け取っている。
『後漢書』では多くの場合「乗輿」とは「皇帝の車」の事を指している。
つまり、ここで馮異が賜ったのは「皇帝の乗る車」と「七尺の剣」。
ということは、この馮異の剣というのも、「皇帝が乗るべき車」と同様に「皇帝が持つべき剣」という意味なのではないか?
「七尺の剣」というのは、高祖の伝説の斬蛇剣、すなわち「皇帝の剣」を連想させるものだったのかもしれない。
そして、漢の高祖劉邦の持つ剣が「三尺」ではなく「七尺の剣」だったという伝承もあったという事になる。
そうか、やはり漢の高祖劉邦というのは「それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた」剣を持つ、かなりの武人、いくさ人だったんだな!