金氏、反乱を防ぐ

(霍)光以女妻(金)日磾嗣子賞。
・・・(中略)・・・
宣帝即位、賞為太僕、霍氏有事萌牙、上書去妻。
(『漢書』巻六十八、金日磾伝)

初、日磾所將倶降弟倫、字少卿、為黄門郎、早卒。日磾両子貴、及孫則衰矣、而倫後嗣遂盛、子安上始貴顯封侯。
安上字子侯、少為侍中、惇篤有智、宣帝愛之。頗與發舉楚王延壽反謀、賜爵關内侯、食邑三百戸。後霍氏反、安上傳禁門闥、無内霍氏親屬、封為都成侯、至建章衛尉。
漢書』巻六十八、金日磾伝)


漢の武帝の時の忠臣として有名な金日磾。



彼の子金賞の妻はあの霍光の娘だったそうだ。



だが、上記の記録の通りであれば、金賞は霍光死後にその妻や子が良からぬ事を企み始めた頃(最終的に謀反を理由に誅滅される)、霍光の娘である妻の離縁を宣帝に申し出ていたという。




また、金日磾の弟の子である金安上は霍氏の謀反の時には霍氏を禁中に入れないようにした功労者であったという。




よくよく考えると、この金賞と金安上は霍光の娘婿とその一族、という事であるから、関係性としては「霍氏の側の人物」扱いされても不思議の無い者たちなんだな。



上の話の通りなら金賞は先に霍氏であった妻を離縁して金氏が霍氏サイドではない事を示したということか。




だがこのような措置が霍氏の謀反が本格化する前に行われていたら霍氏側も呑気していられなかっただろうから、この離縁は謀反の直前に行われたのだろう。



霍氏サイドは謀反の際に丞相魏相を殺し皇帝を廃位しようと考えていたとされるのだが、その際には太僕の金賞、侍中の金安上と皇帝の身近にいる金氏二人が協力するものと思っていたのではないだろうか。




逆に言えば、金賞が妻を離縁して霍氏と決別した事が霍氏の反乱にとって決定的なターニングポイントだったのかもしれない。金氏が宣帝に付かなかったら、霍氏成功の目もあったのかも。