神秘の種つけおじさん

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この辺の話のまとめ。




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漢代頃、「人が馬に自分の子を産ませた」という話があった。



つまり、家畜が人間の子を産む可能性が無くもないのだ、と当時なら思われていた、かもしれない。



哀帝建平中、豫章有男子化為女子、嫁為人婦、生一子。
(『漢書』巻二十七下之上、五行志下之上)


漢代頃、男性が女性に変化し、子を成すという話があった。



つまり、雄が雌に変化して子を産む可能性が無くもないのだ、と当時なら思われていた、かもしれない。





となると、匈奴が蘇武に言ったと思われる「雄羊がお前の子を産んだら漢に帰してやる」という話は、少なくとも当時の匈奴にとっては(蘇武自身にとってもそうだったかもしれない)、1000%ありえない無理難題を押し付けているということではなく、「確かにそうある事ではないが、ありえない事ではない」という認識の話だったのではなかろうか?



單于使衛律召(蘇)武受辭、武謂(常)惠等「屈節辱命、雖生、何面目以歸漢!」引佩刀自刺。衛律驚、自抱持武、馳召毉。鑿地為坎、置熅火、覆武其上、蹈其背以出血。武氣絶、半日復息。惠等哭、輿歸營。
・・・(中略)・・・
律知武終不可脅、白單于。單于愈益欲降之、乃幽武置大窖中、絶不飲食天雨雪、武臥齧雪與旃毛并咽之、數日不死、匈奴以為神、乃徙武北海上無人處、使牧羝、羝乳乃得歸。
(『漢書』巻五十四、蘇武伝)


蘇武はこの雄羊とのドキドキ子作り生活の前、「首を自分で刺して死のうとしたのに蘇った」「食事を与えなかったのに数日死ななかった」という神秘現象を匈奴単于に見せつけているので、「雄羊に子を産ませる」も匈奴単于的には「もしかしたらやるのではないか、そうだったらガチで神なので解放しよう」みたいな気持ちだったのではなかろうか。