朱提の変遷

(鄧)孔山名方、南郡人也。以荊州從事隨先主入蜀。蜀既定、為犍為屬國都尉、因易郡名、為朱提太守、選為安遠將軍・庲降都督、住南昌縣。章武二年卒。失其行事、故不為傳。
(『三国志』巻四十五、楊戯伝)

昨日記事にした銀山のある「朱提」は、『漢書』によれば「犍為郡」にあった。



後漢書』によれば「犍為属国」になっている。つまり異民族居住地として分割統治の対象になったということか。



そして劉備政権下で「犍為属国」を「朱提郡」としたようだ。




劉備政権下では銀産出のお陰で「朱提」の重要性が向上していたのかもしれないな。