中山の風俗

趙・中山地薄人衆、猶有沙丘紂淫亂餘民。丈夫相聚游戲、悲歌忼慨、起則椎剽掘冢、作姦巧、多弄物、為倡優。女子彈弦跕躧、游媚富貴、徧諸侯之後宮
(『漢書』巻二十八、地理志下、趙地)

漢書』地理志によると、趙・中山の方面は殷の紂王の遺民が住んだ地であったことからその風俗が残っており、強盗殺人や盗掘などの悪事が盛んで、淫靡な文化があったのだ、としている。




どこまで信用したものか分からない気もしないでもないが、現代日本でも地方どころか都市ごとに文化風俗の傾向が違っていたりするので、『漢書』編集者たちがそう感じるような傾向はきっとあったのだろう。




あの子孫が沢山いたという中山靖王劉勝も、この地方の風俗の影響を受けてそういう事が大好きになったのだ、と当時は思われていたのかもしれない。