月事

長沙定王發。發之母唐姫、故程姫侍者。景帝召程姫、程姫有所辟、不願進、而飾侍者唐兒使夜進。上醉不知、以為程姫而幸之、遂有身。已乃覺非程姫也。及生子、因命曰發。
【注】
索隠、姚氏按、釋名云「天子諸侯羣妾以次進御、有月事者止不御、更不口説、故以丹注面目旳旳為識、令女史見之」。王察神女賦以為「脱袿裳、免簪笄、施玄旳、結羽釵」。旳即釋名所云也。説文云「姅、女污也」。漢津云「見姅變、不得侍祠」。姅音半。
(『史記』巻五十九、五宗世家)

女性のいわゆる月のものの事を、『史記』では「所辟」(避ける所)と称し、注によれば後漢末の『釈名』で「月事」と言っていた事が分かる。



つまり、少なくとも後漢末頃からはその事を現代のように「月のもの」と呼んでいたようだ。