宦官、乱れる

李延年、中山人也。父母及身兄弟及女、皆故倡也。延年坐法腐、給事狗中。而平陽公主言延年女弟善舞、上見、心説之、及入永巷、而召貴延年。延年善歌、為變新聲、而上方興天地祠、欲造樂詩歌弦之。延年善承意、弦次初詩。其女弟亦幸、有子男。延年佩二千石印、號協聲律。與上臥起、甚貴幸、埒如韓嫣也。久之、寖與中人亂、出入驕恣。及其女弟李夫人卒後、愛弛、則禽誅延年昆弟也。
(『史記』巻一百二十五、佞幸列伝、李延年)

李延年、中山人、身及父母兄弟皆故倡也。延年坐法腐刑、給事狗監中。女弟得幸於上、號李夫人、列外戚傳。延年善歌、為新變聲。是時上方興天地諸祠、欲造樂、令司馬相如等作詩頌。延年輒承意弦歌所造詩、為之新聲曲。而李夫人産昌邑王、延年繇是貴為協律都尉、佩二千石印綬、而與上臥起、其愛幸埒韓嫣。久之、延年弟季與中人亂、出入驕恣。及李夫人卒後、其愛㢮、上遂誅延年兄弟宗族。
(『漢書』巻九十三、佞幸伝、李延年)

漢の武帝の時の佞幸、李延年。



史記』と『漢書』それぞれの伝を見ると、『史記』では李延年自身が「中人と乱れた」ように読めるが、『漢書』では弟が「中人と乱れた」と書かれている。



純粋に別の説があったのか、それとも「宦官になっていた李延年が中人と乱れるわけないだろ」という少々軽率な思い込みから改変されたのか、それともどちらかが誤って書かれたのか。



個人的には宦官だろうが男性とも女性ともリラックスする事は出来るのではないか、と愚考する。





大した話ではないが、同じ伝でも『史記』と『漢書』で別の話が伝わっているのは興味深い。