公孫度の戦い

(初平元年)遼東太守公孫度自號爲平州牧、立漢世祖廟。
(『後漢紀』孝献皇帝紀第二十六)

遼東太守公孫度が漢の世祖廟を立てたのは、あの董卓が洛陽を破壊したという初平元年の事だったという。



という事は、公孫度としては「洛陽で事実上失われた皇帝廟を自分が復興して新たな漢の時代を作る」みたいなお題目で世祖廟を立てたという事なんだろうか?




穿った見方をすれば、軍事的に董卓と反董卓の争いに絡む事の出来ない公孫度は、祭祀や思想面で董卓や他の群雄たちをリードしようと考えたのかもしれない。