仲長統『昌言』理乱篇を読んでみよう:その1

唐突だが、後漢末の仲長統の『昌言』を読んでみようと思う。


尚書令荀彧聞(仲長)統名、奇之、舉為尚書郎。後參丞相曹操軍事。毎論説古今及時俗行事、恆發憤歎息。因著論名曰昌言、凡三十四篇、十餘萬言。
獻帝遜位之歲、統卒、時年四十一。
友人東海繆襲常稱統才章足繼西京董・賈・劉・楊。今簡撮其書有益政者、略載之云。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

後漢書』仲長統伝に一部が引用されているのである。



まずは理乱篇。




理亂篇曰
豪傑之當天命者、未始有天下之分者也。無天下之分、故戰爭者競起焉。于斯之時、並偽假天威、矯據方國、擁甲兵與我角才智、程勇力與我競雌雄、不知去就、疑誤天下、蓋不可數也。角知者皆窮、角力者皆負、形不堪復伉、埶不足復校、乃始羈首係頸、就我之銜紲耳。夫或曾為我之尊長矣、或曾與我為等儕矣、或曾臣虜我矣、或曾執囚我矣。彼之蔚蔚、皆匈詈腹詛、幸我之不成、而以奮其前志、詎肯用此為終死之分邪?
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

豪傑が天命を受けるという時、天下が分かれているという事はない。天下が分かれていないために争いが起こるのである。この時、天命を受けたと偽り、曲げて地方に割拠し、兵を擁して知恵や武力をもって雌雄を争い、去就も分からず、天下の人々を誤らせている。そんな者が何人もいる。



知恵や武力を競って敗北し、形勢がもはや対抗できなくなると、首に縄がかかって捕虜となるだけである。彼らのある者はかつては上位者であったり、同格であったり、こちらを捕えた者だったりすることもある。彼らは鬱々として呪詛の言葉を吐き、こちらが成功しないことを願い、以前の志をまた奮い立たせる。どうして身の丈をわきまえた終わりを迎える事ができようか。






少々自信のない部分もあるし逐語とは言えないが、だいたいこんな感じだろうか。



仲長統の生きた時代を考えれば、これは当然に後漢末のいわゆる群雄たちが念頭にあるのだろう。