魏の外戚

中書令李豐與玄及后父光祿大夫張緝陰謀為亂。緝與豐同郡、傾巧人也、以東莞太守召、為后家、亦不得意、故皆同謀。
初、豐自以身處機密、息韜又以列侯給事中、尚齊長公主、有内外之重、心不自安。密謂韜曰「(夏侯)玄既為海内重人、加以當大任、年時方壯而永見廢、又親曹爽外弟、於大將軍有嫌。吾得玄書、深以為憂。緝有才用、棄兵馬大郡、還坐家巷。各不得志、欲使汝以密計告之。」
(『三国志』巻九、夏侯玄伝注引『魏書』)



夏侯玄の命取りとなった事件は中書令李豊が企んだものだという。



李豊は同郡でかつ自分の境遇に不満を抱いている張緝、そして既に誅されている曹爽と親戚関係にあった夏侯玄を取り込もうとしたのだとか。




やはり、官僚・将として大成するに違いないと烈祖様に言われた張緝としては、皇后の親という事になってしまう事で事実上官職を取り上げられた事を不満に思っていた(と周囲からは思われた)ようだ。



曹丕外戚に権力を与えないと決めた事が影響しているのだろう。この当時、外戚は自身が権力を振るえるわけでもないから、自身の能力に自信があるような者にとっては不満しかない地位だったのだろう。






そして、張緝は昨日の記事では「吝嗇」、今回は「小ズルいヤツ」といった評価をされているのか。




ある意味では評価は一貫している。まあ、末路をよくしなかったがためにそのように悪く言われたという部分が強いのだろうが。