富民と平干

而封丞相車千秋為富民侯、以明休息、思富養民也。
(『漢書』巻九十六下、西域伝下)

漢の武帝はその晩年に車千秋(田千秋)を大抜擢して丞相とし、その時に「富民侯」に封建した。



これは民を休息させ富ませる、という武帝の意思の表明なのだという。




もしかすると、大体同時期に封建された王「平干王」も同じように「干(盾)を平らに置いて戦を止める」といった武帝の意志の表明なのかもしれないなあ。




もちろん全然違うかもしれないけれど。