蛍の光

車胤字武子、南平人也。
曾祖浚、呉會稽太守。父育、郡主簿。
太守王胡之名知人、見胤於童幼之中、謂胤父曰「此兒當大興卿門、可使專學。」胤恭勤不倦、博學多通。家貧不常得油、夏月則練囊盛數十螢火以照書、以夜繼日焉。
(『晋書』巻八十三、車胤伝)

かの有名な「蛍雪の功」のホタル乱獲者である晋の車胤。



この人物の曽祖父は呉の会稽太守であったという。



會稽太守車浚・湘東太守張詠不出算緡、就在所斬之、徇首諸郡。
【注】
江表傳曰、浚在公清忠、値郡荒旱、民無資糧、表求振貸。(孫)晧謂浚欲樹私恩、遣人梟首。又尚書熊睦見晧酷虐、微有所諫、晧使人以刀環撞殺之、身無完肌。
(『三国志』巻四十八、孫晧伝、天璽元年)

あ、こいつだ。



ホタル野郎の曽祖父車浚は災害に苦しむ民のために減税を求めたら孫晧に処刑された(車浚は自分の人気取りをしようとしたのだと疑われたということらしい)。




太守になるまでの家が貧しいと言われるようにまでなってしまったのも、孫晧に消されて色々失ってしまったからかもなあ。