破虜将軍

前到魯陽、與袁術相見。術表(孫)堅行破虜將軍、領豫州刺史。遂治兵於魯陽城。
(『三国志』巻四十六、孫堅伝)

孫堅袁術から「行破虜将軍・領予州刺史」に推された。これが『三国志』の孫堅の伝(孫破虜討逆伝)の名である「破虜」である。




長沙太守孫堅亦起兵誅(董)卓、比至南陽、衆數萬人。卓以堅爲破虜將軍、冀其和弭。
(『後漢紀』孝献帝紀第二十六)


後漢紀』では、孫堅に「破虜将軍」を与えたのは袁術ではなく孫堅懐柔を狙った董卓という事になっている。



なんだかちょっと話が変わってくるのでは・・・?それとも、袁術の推薦で董卓が破虜将軍を与えたという事なの?