棺を削る

孫峻棺、取其印綬、斲其木而埋之、以殺魯育等故也。
(『三国志』巻六十四、孫綝伝)

呉の孫綝が殺された後、その前任者で従兄弟の孫峻は孫魯育(孫権の娘)を殺した事を理由に墓を暴かれて棺の中の印綬を奪われ、棺を削られたのだという。



君大棺八寸、屬六寸、椑四寸。上大夫大棺八寸、屬六寸。下大夫大棺六寸、屬四寸。士棺六寸。
(『礼記』喪服大記)

この「棺を削る」というのは、棺の厚さ自体が身分によって定められていた制度によるものなのだろう。


おそらく、孫峻は侯といった地位を奪われ’(印綬を取られ)、地位を失って元々の侯としての棺の厚さに見合わなくなったため、おそらくは庶人としての格式の厚さになるまで棺を削られたのだろう。





タダの嫌がらせや罰としての墓暴きなどではなく、少なくとも命じた孫休らにとっては礼制に沿った措置だったのかもしれない。