『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その1

高貴郷公髦紀(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/17/000100)の続き。






陳留王諱奐、字景明、武帝孫、燕王宇子也。
甘露三年、封安次縣常道郷公。
高貴郷公卒、公卿議迎立公。
六月甲寅、入于洛陽、見皇太后、是日即皇帝位于太極前殿、大赦、改年、賜民爵及穀帛各有差。
(『三国志』巻四、陳留王奐紀)

新たな皇帝、常道郷公。



この時15歳。という事は高貴郷公より世代は上だが年齢は下である。




彼が即位前に封建されていた常道郷がある安次県は『晋書』地理志上によると燕国にある。つまり父である燕王の領土の一部を分け与えられたという形になっているのだ。これは高貴郷公と同じである。



前回の記事では「使使持節行中護軍中壘將軍司馬炎北迎常道郷公璜嗣明帝後」となっており、この常道郷公は元は曹璜という姓名だった事になる。皇帝になるに際し、下々の者が諱を避ける必要性がある事から、避けやすいようにと改名したという事らしい。


「璜」という字がそこまで避けにくいかというと怪しい気がするが、もしかすると「黄」や「横」も避ける事になってしまうのかもしれない。もしそうなら改名が必要だろう。




なお、この時点でこの常道郷公の父の曹宇は健在だったようだ。