パワーハラスメント

初、鄧艾之誅也、文帝以艾久在隴右素得士心、一旦夷滅、恐邊情搔動、使(唐)彬密察之。
彬還、白帝曰「 鄧艾忌克詭狹、矜能負才、順從者謂為見事、直言者謂之觸迕。雖長史司馬參佐牙門、答對失指、輒見罵辱。處身無禮、大失人心。又好施行事役、數勞衆力。隴右甚患苦之、喜聞其禍、不肯為用。今諸軍已至、足以鎮壓内外、願無以為慮。」
(『晋書』巻七十、唐彬伝)

かの鄧艾が鍾会こと小畜生と共に蜀の地で滅んだ時、司馬昭は鄧艾の支配していた隴右が動揺し、反抗するのではないかと心配して掾属の唐彬に様子を探らせた。



そうしたところ、鄧艾は人格に問題があり、直言を嫌い、部下が失敗すると罵倒していたので部下から慕われておらず、労役もしばしば課した事から民からも嫌われており、彼の死を皆喜んでいる、という報告があったそうだ。




事情も地域も同一ではないが、郭淮の妻が連行されようという際に部下の方が反乱を勧めるほど部下から慕われていたといった話と比べてみると、たいへん趣がある。




鄧艾が超絶パワハラ上司で部下からも慕われていなかったという話。