『晋書』武帝紀を読んでみよう:その26

その25(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/10/22/000100)の続き。





咸寧元年春正月戊午朔、大赦改元
二月、以將士應已娶者多、家有五女者給復。
辛酉、以故鄴令夏謖有清稱、賜穀百斛。
以奉祿薄、賜公卿以下帛有差。
叛虜樹機能送質請降。
夏五月、下邳・廣陵大風、拔木、壞廬舍。
六月、鮮卑力微遣子來獻。
呉人寇江夏。
西域戊己校尉馬循討叛鮮卑、破之、斬其渠帥。
戊申、置太子詹事官。
(『晋書』巻三、武帝紀)

禿髪氏の樹機能、拓跋氏の力微、二人の鮮卑がそれぞれに晋に従う。



とはいえ樹機能は河西方面で散々暴れた後の事。


また拓跋氏は力微の頃に定襄郡あたりまで来ていたようだ。匈奴や烏丸が彼らの領域では脅威ではなくなり、更に中華王朝の并州方面における支配力が衰えた事などが影響しているのだろう。



だがまだこの時点では鮮卑は危険な相手ではあっても中華王朝を圧倒するまでの存在とは言えない。彼らの戦いはこれからだ。



五十六年、帝復如晉。其年冬、還國。晉遺帝錦・罽・繒・綵・綿・絹・諸物、咸出豐厚、車牛百乗。行達并州、晉征北將軍衛瓘以帝為人雄異恐為後患、乃密啟晉帝、請留不遣。晉帝難於失信、不許。
瓘復請以金錦賂國之大人、令致間隙、使相危害。晉帝從之、遂留帝。於是國之執事及外部大人、皆受瓘貨。
(『魏書』巻一、序紀、文帝沙漠汗)


なお力微に対しては衛瓘が離間を仕掛けていた。