『晋書』武帝紀を読んでみよう:その4

その3(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/09/15/000100)の続き。





泰始元年冬十二月丙寅、設壇于南郊、百僚在位及匈奴南單于四夷會者數萬人、柴燎告類于上帝曰「皇帝臣炎敢用玄牡明告于皇皇后帝。魏帝稽協皇運、紹天明命以命炎。昔者唐堯、熙隆大道、禪位虞舜、舜又以禪禹、邁徳垂訓、多歴年載。暨漢徳既衰、太祖武皇帝撥亂濟時、扶翼劉氏、又用受命于漢。粵在魏室、仍世多故、幾於顛墜、實頼有晉匡拯之徳、用獲保厥肆祀、弘濟于艱難、此則晉之有大造于魏也。誕惟四方、罔不祗順、廓清梁岷、包懷揚越、八紘同軌、祥瑞屢臻、天人協應、無思不服。肆予憲章三后、用集大命于茲。炎維徳不嗣、辭不獲命。於是羣公卿士、百辟庶僚、黎獻陪隸、暨于百蠻君長、僉曰『皇天鑒下、求人之瘼、既有成命、固非克讓所得距違。天序不可以無統、人神不可以曠主。』炎虔奉皇運、寅畏天威、敬簡元辰、升壇受禪、告類上帝、永答衆望。」
(『晋書』巻三、武帝紀)

禅譲。ここから泰始元年。



天の上帝に向かって新たな皇帝司馬炎が「堯・舜の時のように、そして漢から魏の時のように、魏の皇帝がどうしようもなくなって晋国のお陰でなんとかなってる状態だったので禅譲してきました。もちろん私などには恐れ多いと辞退しましたが、臣下のみなさんから一般人、異民族に至るまで皆が勧めてくるので、しかたなく帝位を受け取りました」と報告。



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