その2(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/09/13/000100)の続き。
是時晉徳既洽、四海宅心。於是天子知暦數有在、乃使太保鄭沖奉策曰「咨爾晉王、我皇祖有虞氏誕膺靈運、受終于陶唐、亦以命于有夏。惟三后陟配于天、而咸用光敷聖徳。自茲厥後、天又輯大命于漢。火徳既衰、乃眷命我高祖。方軌虞夏四代之明顯、我不敢知。惟王乃祖乃父、服膺明哲、輔亮我皇家、勳徳光于四海。格爾上下神祇、罔不克順、地平天成、萬邦以乂。應受上帝之命、協皇極之中。肆予一人、祗承天序、以敬授爾位、暦數實在爾躬。允執其中、天祿永終。於戲!王其欽順天命。率循訓典、底綏四國、用保天休、無替我二皇之弘烈。」
帝初以禮讓、魏朝公卿何曾・王沈等固請、乃從之。
(『晋書』巻三、武帝紀)
新たな王の誕生と共に禅譲。これも後漢末に行われた事の繰り返し。
当初は固辞するのも、王朝の重臣などがこぞって要請してくるのも、やっぱり後漢末の繰り返し。
そして結果的には受諾。これもやっぱりry
前の禅譲の事をよく覚えている人も割と朝廷にいたはずなので、その辺の機微はみんなわかってる。