『晋書』文帝紀を読んでみよう:その23

その22(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/09/09/000100)の続き。





史臣曰、世宗以叡略創基、太祖以雄才成務。事殷之跡空存、翦商之志彌遠、三分天下、功業在焉。及踰劍銷氛、浮淮靜亂、桐宮胥怨、或所不堪。若乃體以名臣、格之端揆、周公流連於此歳、魏武得意於茲日。軒懸之樂、大啟南陽、師摯之圖、於焉北面。壯矣哉、包舉天人者也!為帝之主、不亦難乎。
贊曰、世宗繼文、邦權未分。三千之士、其從如雲。太祖無外、靈關靜氛。反雖討賊、終為弒君。
(『晋書』巻二、文帝紀


最後。



なかなかに分からない文章。



殷に仕えていた時の事績は空しく残り、殷の紂王を滅ぼした時の志は遠くなってしまい、天下が三分されたが、司馬師司馬昭に功業があった。剣を踏み越えて乱を鎮め、皇帝を幽閉して耐えられぬほど恨む者もいた。もし名臣のように宰相として働いていれば周公もこの時代を楽しみ、魏武もこの時代に満足した事だろう。王の楽団が開かれ、いにしえの太師摯のような賢人も仕えた事だろう。天と人とを独占するというのはなんと壮大な事だろうか。皇帝になる君主というのは難しいものだ。





という感じか。全く自信が無い。


なんとなく、乱の平定を壮挙としつつも、皇帝の傀儡化や弑逆を批判し、権臣としてふるまわなければ周公も喜び、あの魏武だって素直に従っていただろうに、という「ああ勿体ない」という内容か。




つまり『晋書』の史臣・賛は司馬師司馬昭を能力は認めつつもあまりにやりすぎた連中だった、惜しい事よ、と言っているのかな。




という事で、『晋書』文帝紀は以上。