『晋書』文帝紀を読んでみよう:その15

その14(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/08/28/000100)の続き。





惟公嚴虔王度、闡濟大猷、敦尚純樸、省繇節用、務穡勸分、九野康乂。耆叟荷崇養之徳、鰥寡蒙矜卹之施、仁風興於中夏、流澤布於遐荒。是以東夷西戎、南蠻北狄、狂狡貪悍、世為寇讐者、皆感義懷惠、款塞内附、或委命納貢、或求置官司。九服之外、絶域之氓、曠世所希至者、咸浮海來享、鼓舞王徳、前後至者八百七十餘萬口。海隅幽裔、無思不服。雖西旅遠貢、越裳九譯、義無以踰。維翼朕躬、下匡萬國、思靖殊方、寧濟八極。以庸蜀未賓、蠻荊作猾、潛謀獨斷、整軍經武。簡練將帥、授以成策、始踐賊境、應時摧陷。狂狡奔北、首尾震潰、禽其戎帥、屠其城邑。巴漢震疊、江源雲徹、地平天成、誠在斯舉。公有濟六合之勳、加以茂徳、實總百揆、允釐庶政。敦五品以崇仁、恢六典以敷訓。而靖恭夙夜、勞謙昧旦、雖尚父之左右文武、周公之勤勞王家、罔以加焉。
(『晋書』巻二、文帝紀


司馬昭は高潔で慈悲深い人物。まつろわぬ民ですらその徳に感じ入って自ら首を垂れてきた。



それでいて蜀漢や呉の賊どもはコテンパンに打ちのめした。



かの太公望が周の文王・武王を補佐した事や、周公旦が周王のために働いた事も、司馬昭以上とは言えないのである。




と言った感じの称賛の言葉が続く。



師古曰「 越裳、南方遠國也。譯謂傳言也。道路絶遠、風俗殊隔、故累譯而後乃通。」
(『漢書』巻十二、平帝紀注)


文中に出てくる「越裳」とは通訳の通訳を九人も通して初めて意思疎通できるという異国とされる。それだけ遠くの異文化でさえも司馬昭の徳を慕っている、という事だ。



ちなみにこの越裳国の使いが来たというのは王莽の宣伝材料の一つであった。





この魏帝の詔はまだ続く。