『晋書』文帝紀を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/08/12/000100)の続き。





蜀將姜維之寇隴右也、征西將軍郭淮長安距之。進帝位安西將軍・持節、屯關中、為諸軍節度。淮攻維別將句安於麴、久而不決。帝乃進據長城、南趣駱谷以疑之。維懼、退保南鄭、安軍絶援、帥衆來降。轉安東將軍・持節、鎮許昌
及大軍討王淩、帝督淮北諸軍事、帥師會于項。增邑三百戸、假金印紫綬。
尋進號都督、統征東將軍胡遵・鎮東將軍諸葛誕伐呉、戰于東關。二軍敗績、坐失侯。
(『晋書』巻二、文帝紀


司馬昭、西へ東へ。


司馬懿司馬師からすれば最も信頼できる将というところか。最初は西で姜維と戦い、司馬懿が死ぬ前後では対呉方面に転身。


漢晉春秋曰、毌丘儉・王昶聞東軍敗、各燒屯走。朝議欲貶黜諸將、景王曰「我不聽公休、以至於此。此我過也、諸將何罪?」悉原之。時司馬文王為監軍、統諸軍、唯削文王爵而已。
(『三国志』巻四、斉王芳紀、嘉平四年、注引『漢晋春秋』)


対呉での敗戦について、司馬師は自分の失敗として諸将は罰せず、代わりに司馬昭だけ罰する事にした。爵位を失ったのはこの時。


いわばイケニエになったようなものだが、これは司馬師司馬昭の間に信頼関係があってこその措置だろう。


そういった関係でなかったら、ただ一人処罰を受けた事を根に持ってしまうところだ。