『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その36

その35(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/11/000100)の続き。





十八年春正月庚寅、復禹貢九州。
夏五月丙申、曹操自立為魏公、加九錫。
大雨水。
徙趙王珪為博陵王。
是歳、歲星・鎮星・熒惑俱入太微。
彭城王和薨。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安18年。



曹操、魏公になり、九錫を受け取る。



その前に『尚書』禹貢篇の九州を復活させる(それまでの「州」は十三あった)という名目で、冀州が拡大する




「九錫」とは、とんでもない功績や徳のある大臣に与えられる特別な恩典という事のようだが、曹操の前に貰った人物が誰であるかを考えれば、どういう意味合いのアイテムなのかはわかるかもしれない。



十七年、董昭等謂太祖宜進爵國公、九錫備物、以彰殊勳、密以諮(荀)彧。彧以為太祖本興義兵以匡朝寧國、秉忠貞之誠、守退讓之實、君子愛人以徳、不宜如此。太祖由是心不能平。
會征孫權、表請彧勞軍于譙、因輒留彧、以侍中光祿大夫持節、參丞相軍事。
太祖軍至濡須、彧疾留壽春、以憂薨、時年五十。諡曰敬侯。
明年、太祖遂為魏公矣。
(『三国志』巻十、荀彧伝)


なお、国公や九錫を受ける(出させる)ことに反対した荀彧が死んだのが前年。その荀彧が死ぬとすぐに魏公・九錫が来るという露骨さはなかなか面白い。



ちなみに劉備はその頃は益州攻めの最中。