『後漢書』孝霊帝紀を読んでみよう:その17

その16(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/04/07/000100)の続き。





四年春正月、初置騄驥廄丞、領受郡國調馬。豪右辜搉、馬一匹至二百萬。
二月、郡國上芝英草。
夏四月庚子、大赦天下。
交阯刺史朱儁討交阯・合浦烏滸蠻、破之。
六月庚辰、雨雹。
秋七月、河南言鳳皇見新城、羣鳥隨之。賜新城令及三老・力田帛、各有差。
九月庚寅朔、日有食之。
太尉劉寬免、衛尉許𢒰為太尉。
閏月辛酉、北宮東掖庭永巷署災。
司徒楊賜罷。
冬十月、太常陳耽為司徒。
鮮卑寇幽・并二州。
是歳帝作列肆於後宮、使諸釆女販賣、更相盜竊爭鬬。帝著商估服、飲宴為樂。又於西園弄狗、著進賢冠、帯綬。又駕四驢、帝躬自操轡、驅馳周旋、京師轉相放效。
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀)

光和4年。




騄驥廄丞なる官を置いて馬を集めさせた事で馬の価格の釣り上げが起こった、という事のようだ。


当時の馬というと軍事の必需品であるから、この当時の朝廷は軍事の立て直しを図っていた、と捉えるべきだろうか。



靈帝好胡服・胡帳・胡牀・胡坐・胡飯・胡空侯・胡笛・胡舞、京都貴戚皆競為之。此服妖也。
其後董卓多擁胡兵、填塞街衢、虜掠宮掖、發掘園陵。
靈帝於宮中西園駕四白驢、躬自操轡、驅馳周旋、以為大樂。於是公卿貴戚轉相放效、至乗輜軿以為騎從、互相侵奪、賈與馬齊。
案易曰「時乗六龍以御天。」行天者莫若龍、行地者莫如馬。詩云「四牡騤騤、載是常服。」「檀車煌煌、四牡彭彭。」夫驢乃服重致遠、上下山谷、野人之所用耳、何有帝王君子而驂服之乎!遟鈍之畜、而今貴之。天意若曰、國且大亂、賢愚倒植、凡執政者皆如驢也。
其後董卓陵虐王室、多援邊人以充本朝、胡夷異種、跨蹈中國。
(『続漢書』志第十三、五行志一、服妖)


霊帝の胡族趣味やロバ趣味などは、亡国の兆しと語られる。



彼のこれらの趣味や後宮での屋台ごっこなどは、もしかすると彼がかつては亭侯という、皇族とはいえ市井の人に割と近い存在だった事も影響していたのかもしれない。朝廷には無い空気や自由を少しでも再現したかった、とか。




だが見方を変えると、霊帝が次第に自分の好きな事をやるようになった、単なる傀儡ではなくなった、とも言えるかもしれない。