『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その65

その64(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/23/000100)の続き。





秋、淮南王黥布謀反。謂其將曰、上老矣、厭兵。必不能自來。諸將獨韓信與彭越、今皆死矣。餘不足畏。遂反。
汝陰侯問故楚令尹薛公曰、布何故反。對曰、往年殺韓信、今年殺彭越。此三人者同功一體之人、自疑禍及其身故反耳。夏侯嬰乃言薛公於上。上召問之、薛公對曰、布出上計、則山東非漢之有也。出中計、勝敗之數未可知。布出下計、陛下高枕而臥耳。上曰、何謂上計。對曰、東取呉、西取楚、并齊與魯、傳檄燕・趙、固守其所、山東非漢之有。何謂中計。對曰、東取呉、西取楚、并齊・韓、取魏、據敖倉之粟塞成皋之口、勝敗之數、未可見也。何謂下計。東取呉、西取蔡、歸重於越、身歸長沙、陛下無患矣。上曰、此計將安出。曰、必出下計。布故驪山徒耳。致萬乗之王、此皆為身、不顧其後、不為百姓萬世之業也。上曰、善。封薛公為千戸侯。
上遂自征布。赦死罪已下、皆令從軍。立皇子長為淮南王。
布果東撃楚。楚王分軍為三、欲以相救為奇兵。或謂楚將曰、諸侯自戰其地為散地。今分軍為三、布散其一、両軍散走、安能相救。不聽。布果敗其一軍、而二軍皆走。
布遂與帝遇于齊西會简。布兵精甚、其置陣如項羽軍、上惡之。上謂布曰、何苦反。布曰、我欲為帝耳。上罵之、遂戰、布敗。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第四)


黥布(英布)、反乱。



劉邦はもうジジイで戦いなんて出てこないからへーきへーき」と言っていたがフラグであった。それだけ劉邦とその直属軍は恐れられていたのだろう。




(英)布之初反、謂其將曰「上老矣、厭兵、必不能來。使諸將、諸將獨患淮陰・彭越、今皆已死、餘不足畏也。」故遂反。果如薛公籌之、東擊荊、荊王劉賈走死富陵。盡劫其兵、渡淮撃楚。
(『史記』巻九十一、黥布列伝)

なんだか抹消されているが、実際には楚王と戦う前にまず荊王(呉の地の王)と戦っている。荊王劉賈死亡。一度は共闘した王同士の戦いであった。



高祖撃(英)布時、為流矢所中、行道病。
(『史記』巻八、高祖本紀)


なお、『漢紀』では超あっさり英布に勝った風だが、劉邦はこの戦いでまた矢が刺さっていた。