『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その1

昔在上聖、唯建皇極、經緯天地、觀象立法、乃作書契以通宇宙、揚于王庭、厥用大焉。先王以光演大業、肆於時夏、亦唯翼翼、以監厥後、永世作典。
夫立典有五志焉。一曰達道義。二曰彰法式。三曰通古今。四曰著功勳。五曰表賢能。於是天人之際、事物之宜、粲然顯著、罔不備矣。
世濟其軌、不殞其業、損益盈虚、與時消息、雖臧否不同、其揆一也。是以聖上穆然、惟文之卹、瞻前顧後、是紹是繼。
臣悦職監祕書、攝官承乏、祗奉明詔、竊惟其宜。謹約撰舊書、通而敘之、總為帝紀、列其年月、比其時事、撮要舉凡、存其大體、旨少所缺、務從省約、以副本書、以為要紀。未克厥中、亦各其志。如其得失、以俟君子焉。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

『漢紀』の最初はその執筆理由と意義について述べられる。



帝好典籍、常以班固漢書文繁難省、乃令絓依左氏傳體以為漢紀三十篇、詔尚書給筆札。
(『後漢書』列伝第五十二、荀悦伝)

『漢紀』はそもそも献帝の命令によって編集が命じられたものとされ、『漢紀』序によると建安3年頃に始まり、建安5年頃に完成したらしい。



なお、荀悦はあの荀紣と同じ侍中で、かつその荀紣の近親(従兄弟)である。




後漢の斜陽の時期に編集を命じられたとも言え、なかなかに複雑な情勢の中で完成したものと評する事もできるかもしれない。